犯罪に巻き込まれて思ったこと

ただではおきない源です。どうも!

 

前回、「犯罪にあいました」という記事を書きました。

状況を細かく書きましたが、今回はこの出来事を通して自分の気づきについてお話ししたいと思います。

 

 

出てきた感情は「怒り」ではなかった

普通だったらスリにあってお金やカードを失ったので、そのスリに腹が立つのは当たり前だとは思います。

「ちくしょー!俺の財布盗みやがって!ふざけんなーー!!」とたぶん叫びたくなると思います。

または、どうしよう????といいながらパニクってるかだと思います。

 

たぶん、というのは僕にその感情がわかなかったんです。

それよりもこの状況をいかに乗り切るかにスポットが当たっていました。

 

1.とりあえず捕まえよう

そう思って探しましたが、あっという間に雲隠れされたのでみつけることができませんでした。残念ですがこれはすぐにあきらめるほかありませんでした。

 

2.目撃者を探そう

近くのクラブのガードマンに声をかけました。僕はほとんど英語が話せないので反訳アプリをしながらなんとかコミュニケーションをとろうとしましたが、「残念だけど俺たちは何も観てない」という答えでした。人通りもなく目撃しているとしたら彼らしかいないので、残念ですがこれもあきらめるほかありません。

 

3.クライアントにまずは報告

お世話になっている学校のクライアントにまずは話しを通さないとどうにもならないと判断して連絡しました。状況説明ととられたもの、どうしたらいいかのアドバイスを仰ぎました。とても親身に対応していただいていろいろ教えていただきました。

 

4.部屋に戻ってカードを停止手続きを行う

まずはそれをしたほうがいいだろうということで24時間の窓口の日本のカード会社に連絡をしました。

 

その日のできることはそれだけです。あとは寝るか、悔やんでうだうだするかです。

 

 

5.自分の感情に気づいた

やはりこういうときはおこった出来事を振り返り考えてしまうものです。自分自身も考えました。そして不思議なことに怒りが真っ先にでてこなかったなと思ったのです。トラブルが起きたときは人は視野が狭まり、極度のものに関しては思考停止します。そして出やすい感情を真っ先にだします。

しかし、ぼくにはいたって平常心を保ちながら対応しようとしている。振り返ってみると過去もそういう感じで平常心で対応しているなということがありました。

 

これは僕の特長の一つなのかなと感じます。

 

しかも犯人にとってはそれが生きる手段であることを感じずにはいられませんでした。僕は、1時間圏内なら全て歩きます。自分の運動不足の解消もありますが、街をちゃんと自分の足で観るのが大切だと思っています。危ない目は今までありませんでしたが、地元の人たちの生活レベルを観てとてもいろいろ感じさせることが多かったです。しばらく歩くとストリートチルドレンがいたりとか物乞いの大人がいたりとかします。

家をもって生活している人も掘っ立て小屋のような建物に住んでいて、サザエさんのエンディングに出て来るような小さな家に家族が川の字になって寝てるのが普通です。人によっては軒先に板や段ボールを引いて寝ている人もいます。

そういう生活レベルの人がごくごく当たり前の国です。

 

そういう人たちをみるとどうしても「そうだよね。外人きたらお金欲しくてそういうことしたくなるよね」という気持ちも感じずにはいられないのです。

だから正直とられたもんはあげたもんだと思うことにしました。どっちにしろ返ってくるものではないですし、国のシステムがまだまだ不完全な状態なのを理解した上でこの国にいます。それでも真面目な人は真面目だし、親切な人は親切です。たまたま今回はそういうことをしてしまう人に出会ってしまっただけであって、フィリピン人すべてがそういう人ではないわけです。

僕自身、こういうことにあったからといってフィリピン人をまとめて悪く思うのは絶対にしたくないなと思いました。

だから、近くにいる人は信じていきたいし、そう信じられる人を増やしていきたいと思います。

 

僕の中には疑いたくないという気持ちが強いのと、コミュニケーションで人はわかり合えるはずということと、自分が信じたいから信じる選択肢を選んでいるということがこの事件で気づきました。

 

 

アドラーを軸に生きている自分

これって、結局はアドラーの考えを学んでいるからこそ僕はそう思えているということも非常に感じています。

アドラーが教えてくれることは「行動に問題があるとしても、その背後にある動機や目的は、必ずや「善」である」ということ。

スリの人にもきっと家族がいるでしょう。そして兄弟がいるでしょう。その周りのいる人たちのために「善」を使うためにそういうことをしたのかもしれません。

人によってはお人好し、バカな考えと思うかも知れないですが、まあそうなんでしょう。

でも、僕はそう信じたいから信じる人なので、「善」の同期があってしたのだから僕はそれを責める気になれない人です。

 

自分の感情を考える時間というのはなかなかない機会ですが、今回の件でちょっと自分の感情にスポットを当ててみました。

みなさんも一度、自分自身の感情に向きあうことをしてみると新しい発見があるのではと思います。

ネガティブなことはネガティブだけの要素ではないのです。

ネガティブの中にも様々なことが隠れ潜んでいます。

そこから光を探す作業を僕はコーチングを通して学びました。