<ビジネスパーソン・インタビュー> 片岡 幸子さん

様々な分野で活躍しているビジネスパーソンにインタビューを決行しました。
第二回のビジネスパーソン・インタビューは片岡 幸子さんです。

 

Q.現在の仕事を教えてください

簡単にいえば看護師です。30年ずっと看護師をやっていましたが、

2年半ほど前に組織で働くのをやめました。

そのころ心と身体がつかれてしまって、一回リセットする時期なのかなと思ったんです。

まさか自分が倒れるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりだったんですが、適切に対応したことで、(休職して心身共に休む)あっという間に元気になってしまったので「このまま休んでていいのか」と思ったりもしました。しかし、元気になっても病院へ戻るという思いにならなくて。結果的にそれが自分の大きな転機になりました。その後、直ぐに認定NPOのフローレンスという存在を知り、障害児のお子様のお宅を廻るお仕事に巡り会いました。

今まで訪問看護や小児科をしたことがなかったので不安はありましたが、週3のパートから始めて、4ヶ月後に週4(常勤)で入るようになり、今、丸2年4ヶ月になります。

各児童のお宅に保育担任が伺い保育を行う。その現場に訪問看護師が廻っていくスタイルで、保育を支える訪問看護師というのが私の仕事です。

フローレンスの活動は、障害を持つ親御さんを社会に戻そうというのがコンセプト。

障害も様々なので、一見そう見えないお子さんもいます。例えば酸素を吸わないといけないから普通の保育園では預けられない。そうなると、お母さんは仕事に復帰できない。そういう親御さんを助けようじゃないかというのが代表の考えで、障害児事業部は立ち上がって3年以上経ちますが、現在、31人の障害児と保育スタッフを11人の看護師で支えています。

また、障害児のお子様に関わることで学ぶことも多く、毎日癒されながらお仕事しています。

そして、もうひとつの「かかりつけ看護師」としての活動についてですが、最後の4年間で勤めていた緩和ケア病棟で、がんで人生の最期の時間を過ごす方々のケアを経験し、本来なら、もっと前の段階の人を助けてあげないといけないんじゃないかと思ったのがきっかけです。

そして、休職中に出会ったある方が「きっと需要があるから一人でやればいいじゃない」と言われて、どうしたらいいのかわからず、「自分のやりたいことをまずみんなに知ってもらわないと」というので、ブログやメルマガなどを始めました。

そうすると、少しずつ読んでもらえる方が増えて、コメントを頂いたり。今1年半になりますが、メルマガの読者も100人を超え、直接御相談される方も増えて、生の声を聴くようになり、この活動の必要性を強く感じています。

 

 

 

Q.看護師になろうと思ったきっかけはなんですか?

もともと幼稚園の先生だとか子供を相手にした仕事をしたかったんです。でもピアノが弾けないと思って諦めていました。しかし、高校受験のときに衛生看護科という看護の勉強ができる学校があることを知り「そっか、子供相手の仕事は幼稚園や保育士だけじゃないんだ。看護師もある」と思って看護師の道に進むことに。

その後、結婚、離婚を経験し、2人の息子をひとりで育てながら苦しい時期もありましたが、看護師として経験していないのは産婦人科と精神科でそれ以外はすべて経験することが出来ました。

昔は緩和ケアという呼び名ではなく、ホスピスなどと言っていましたが、いずれは、がんの方のケアをする仕事をしたいなと思っていました。

とはいえ、まだまだ20代そこそこだったので人生経験がたいしてあるわけでもなく、自分よりずっと年上の方の心のケアをするのは、まだ無理だと思いました。

なので、看護師と人としての経験を積んで、30後半か40歳になって、そういうことができたらいいなと思っていました。

その根底にあったのは、私がお世話になった祖父が胃がんで亡くなったことが、子どもながらにとても悔しかったからかもしれません。

きっと私が看護師になったのは祖父が導いてくれたのかなと、今思えばつながってる感じがします。

看護師って自分の身を削って仕事をしていると感じたこともありましたが、それ以上に、患者さんから学ぶことも沢山ありました。

その方々のお陰で、私の看護師としての引き出しが増え、今の活動にも生かされていると思っています。

 

Q.この仕事をやっていて一番大変だったことはなんですか?

仕事というより生活の方でしょうか。29歳で離婚を経験したとき、息子が3才と5才だったんです。今みたいに手当が厚くなく、とにかく働かないと生活ができないのでフルに働いて、夜勤もやって子供たちを育ててた頃が一番しんどかったです。

仕事が大変というよりも、仕事へ行くことで気がまぎれたりしていました。今、自分の生活は辛いんだという、現実から逃れられることができたんです。自分よりも辛い患者さんが目の前にいるので、自分のことより患者さんのことに没頭できました。

あの頃の自分を振り返ると良く乗り越えられたなと思います。

看護師をやめてお金だけ稼ぐことを考えてやれば良かったかもしれないですが、それはやりたくなくて、私には看護師をやるしかなかったんですね。

気力と若さで頑張ってきたと思います。自分が選んだ道だったので絶対やめたいと思わなかったし、意地もありましたね。

それでも、仕事の帰り道はどんどん現実に引き戻されていくので、ずっと「上を向いて歩こう」を頭の中で歌って帰ったりしていました。

夕方になると「もうだめかも…もうだめかも」という気持ちが降ってくるんです。

「子供を残して死ぬか」「子供を連れて死ぬか」という選択肢が頭の中をぐるぐる回ってきて、でも毎日出る答えは同じ。

子供を残しても「自分たちが居たからお母さんは死んじゃったんだ」と子供たちが思ったら、一生それを背負っていくんだと思ったし、自分の子供の命を絶つなんて絶対できませんでした。

それは、死んだ祖父が「今のこの辛さは絶対乗り越えられるから頑張れ!」というふうに言ってくれてたのかなと思っています。

ずっと『おじいちゃん助けて』って頭の中で繰り返していて、でも、お願いするだけでは何も変わらないことを学び、それ以降は、まず「感謝」をすることを心がけ、今でも毎日「感謝」をして1日を終わるようにしています。

 

 

 

Q.仕事で楽しかったことを教えてください。

訪問看護の仕事は歩くので体力がつくのと、子供たちに癒やされるので楽しいですね。なにかあってもみんなで話し合って決めようという感じなので、心をそこに残して帰らなくていいですね。

緩和ケア病棟の頃は末期の方の看護なので、ずっと心をそこに残して家にも持ち帰って考えているので、家にいてもぜんぜん休めていなかったんです。

今は、お家にいるお子さんと親御さんを支えている形なので、病院では簡単にできることでも、家ではできないし、お母さんができることを見つけてあげないといけないので工夫が必要ですが、今までの看護師経験や人生での経験がとても役立つ場だなと思っています。

歩けなかった子が歩けるようになったとか、食べれなかった子が食べれるようになったとか、生まれてから一度も声をあげたことがなかった子が泣いて、「声が出た!」ってお母さんと一緒に喜んだり、今年は新しい命も沢山誕生しました。そんな子供の成長をみんなで見守り支えていく日々は大変なこともありますが、楽しいことの方が多いです。

 

 

 

Q.よりこんなことができたらいいなということはありますか?

訪問看護の世界に新人ナースを入れようとか、看護協会は病棟ナースを訪問看護ステーションと連携させてどっちも診れる看護師をつくろうという動きがあるのですが、私達独自の現場を回すナースを育てたいと思っています。

実際、訪問看護自体は全国で広まってきていますが、潰れるところも多いです。

在宅の基盤をもっと作ってくれたらいいのにと思います。

今はがん治療もずっと入院しないといけないわけではありません。通院しながらできる時代です。逆に病院はベッド数がない理由で2ヶ月で退院せざるを得ないシステムなので、在宅をもう少し支える手厚いシステムができればいいといいと思います。

また、病院のナースは副業はだめだし、時間がないのでいっぱいいっぱいです。病院に不満をもつナースも少なくありません。そういった方々に今の形ではない看護師の働き方もあるよというのを発信していけたらと思っています。

がんになった方々ににも発信してきたいですね。

緩和ケアは末期になって受けるケアだと思われがちですが、告知されたその日から治療と並行して受けることで、治療成績も上がり、がんと共存しながらも自分らしく生きていけることに繋がるのだと。

ある患者会にいったときに、「何に一番困りましたか?」と聴いたんですが、「一番最初のとき一番つらかった」と答えた人が多かったんです。なぜかというと、突然がんの告知をされて、その後のフォローはなく安易なやり取りになって、言われた患者さんはショックで思考が働かないので混乱したまま説明を聞き、いつだれにどうやってこのことを伝えたほうがいいのかもわからないまま治療に進んでしまいます。

その結果、すべてお医者さんにお任せしますという任せきりの医療を受け、最後の最後に「ああすればよかった」「こうすればよかった」と後悔で終わってしまうのは本当に残念なことです。

自分にとって大切な人が困らないように、そして、なによりご自身が自分らしい人生を歩んでいけるように、早期から緩和ケアを受けることが当たり前になってほしいですね。

 

Q.今の働き方はマッチしていますか?

そうですね。訪問看護のほうは毎回子どもたちに癒されていますし、色々学ぶことも多くてやりがいもあります。

かかりつけ看護師としても、ひとりひとりの悩み、状況に合わせてカウンセリングしていますので病院では中々できないことが出来ていますし、今後は「早期緩和ケアの大切さ」をもっと広めていくためのセミナーもやっていく予定です。

 

 

 

Q.これから独立したい方へメッセージをお願いします。

決めていることがあるなら準備をしっかりしたほうが、何があっても倒れないものができるとある人に言われたことがあって日々実践しています。なので「簡単につくったものは簡単に倒れるよ」と言いたいです。

やったことがないことにチャレンジできるワクワクも多いけど、それと同じぐらい大変なこともあります。だけど、それを乗り越えるくらいの気持ちがあれば、本当にやりたいことが見えてくると思います。

もちろん、それを実現するには一人では難しいです。間接的にでも応援してくれる人が必要になってきます。そのためにも、この人ならサポートしてあげたい、一緒にやりたいと思わせるような人になることも必要だなと思います。

そして、アンテナを張って色んな情報を取り入れて、その中から自分らしく働ける方法を選択していく。なにより、そういう過程も楽しみながらやっていけるといいですね。

 



片岡 幸子
(かたおか さちこ)さん
1967年生まれ。長崎市出身 1987年県立日南高等看護学院を卒業し、看護師免許を取得。 奨学金制度を利用した関係で2年間、三菱神戸病院に勤務。 1年目は、外科系の混合病棟で、2年目は、内科系の混合病棟に配属。 いずれもがん患者さんを含んだ、多くの診療科のケアを学び、2年目で新人看護師の指導を担当。 その後、結婚→7年後に息子2人を抱え離婚し、宮崎県から長崎県へと移住。 シングルで子ども2人を育てながら夜勤もこなし、 34歳で病棟主任となり、救急外来の管理当直も経験。 37歳で千葉県に移住後は、保育園や看護学校でも経験を積み、 2012年から念願だった緩和ケア病棟に勤務。 2016年7月末に退職するまでに、関わった患者さんは1万人を超える。 現在、認定NPO法人フローレンスにて、障害児の訪問看護を週4日行いながら、がんを宣告された方や、その家族のためのかかりつけ看護師として活動中。
 


 
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新しい年号に変わったら、かかりつけ看護師としての活動も新たな転機を迎えます。
個別カウンセリングに加えて、全国でセミナーを開催したり、一緒に活動してくれる仲間を増やしていく予定です。
また、同じ看護師で組織での働き方に行き詰まったり、頑張りすぎて心身共に元気をなくしている人が増えているので、今後も医療職の異業種交流会を開催しながら、ケアする側も元気になれる場所を作っていきたいと思っています。
 


 
<WEBサイト>
がんと宣告された方やその家族のためのかかりつけ看護師 かたおか さちこ < sachikokataoka.com > 
認定NPO法人フローレンス< https://florence.or.jp/ >

 

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